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東京高等裁判所 昭和46年(う)872号 判決 1971年8月06日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人渡辺真次作成名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用し、これに対して、当裁判所は、つぎのとおり判断する。

一、控訴趣意第一点(事実誤認および法令適用の誤りの主張)について

所論は、原判決には事実の誤認が存し、ひいて法令の適用の誤りがあるというのである。すなわち、被告人は、本件事故(原判示第一の事実)発生後直ちに被害者前田昌作を自車に同乗させ、治療のため近くの蘇我病院へ赴き、救護義務を誠実に履行し、他方右前田運転の原動機付自転車は、本件事故現場において周囲の人によつて道路端にかたずけられ、交通秩序は、速かに原状に回復されたから、道路交通法第七二条第一項後段所定の報告義務を認めた客観的必要性は、すでに達せられており、同義務は、消滅したものである。仮に右主張が認められないとしても、被告人は、前記のように右前田を右蘇我病院へ運び、同病院受付カウンター付近にいた際、千葉南警察署から電話がかかり、同署警察官から「生実で事故を起したのは君か」と質問されたのち、住所、氏名を聞かれ、出まかせに虚偽の住所、氏名を述べたところ「そこに待つているように」といわれた。すなわち右警察官は、すでに本件事故の発生、その態様等を了知し、加害者である被告人が電話の相手方であることを知つて右のように被告人と問答をかわしているのであるから、被告人が更につけ加えて報告すべき何物もなく、したがつてこの時点において右報告義務は、消滅したものである。仮に右報告義務の内容について一部の欠缺があつたとしても、その場合は本来通話時において当然警察官において質問すべきものであり、それを怠つたのであれば、いわば権利を放棄したものとして被告人は、右欠缺部分の報告義務を免れるものと解すべきである。また被告人の報告した住所、氏名が虚偽であつたため捜査に支障をきたしたとしても、右報告義務は、犯罪捜査のために認められたものではないから、かかる不都合が生じたとしてもやむを得ないものである。もし右報告義務に犯罪捜査のための義務も入るとするならば、右報告義務を認めた道路交通法の規定は、憲法第三八条第一項に違反することとなる、というのである。

よつて、所論にかんがみ、本件訴訟記録および原審において取調べた証拠に現われている事実を精査し且つこれに当審における事実取調の結果を総合して考察すると、被告人は、本件事故後直ちに右前田を自車に乗せて千葉市宮崎二丁目一一番一五号所在の蘇我病院へ赴き、同病院で右前田の治療をたのんだ後、自己の氏名、住所を告げずにそのまま同病院から立去つてしまつたこと、その間被告人は、右病院へ着いて右前田を廊下の椅子にすわらせて間もないころ、何人の通報によつて本件事故の発生を知つたか明らかではないが、本件事故を知つた千葉南警察署の警察官から電話を受け、右警察官と被告人間に所論指摘のような質問応答がなされ、被告人は、兄の住所、氏名を自己の住所、氏名と偽つて述べたこと、右前田運転の原動機付自転車は、本件事故後警察官が本件現場へ到着した際、本件道路側溝内にあつたことが認められるが、右電話をした警察官が本件事故の態様まで了知してていたことはこれを認むべき十分な証拠がない。ところで右報告義務は、個人の生命、身体および財産の保護、公安の維持等の職責を有する警察官に一応すみやかに前記法条所定の各事項を知らしめ、負傷者の救護および交通秩序の回復等について当該車両等の運転者の講じた措置が適切妥当であるかどうか、さらに講ずべき措置はないか等をその責任において判断させ、もつて前記職責上とるべき万全の措置を検討、実施させようとするにあると解されるので、たとえ当該車両の運転者において負傷者を救護し、交通秩序もすでに回復され、道路上に危険も存在しないため、警察官においてそれ以上の措置をとる必要がないように思われる場合であつても、なおかつ、交通事故を起した当該車両等の運転者は右各事項の報告義務を免かれるものではないと解するのが相当である(東京高等裁判所昭和四五年(う)一、七六六号同年一一月一一日判決参照)から、本件において被告人が前記のように右前田を救護し、同人運転の自転車が本件道路の側溝中に置かれ、本件道路の交通に何等支障をきたさなかつたとしても、被告人の右報告義務が消滅したものと解することはできない。また被告人が右前田を連れて右病院へ赴いた際被告人に対し警察官から電話がかかり、同警察官と被告人間に前記のような質問応答がなされたが、右報告義務を認めた前記法条の法意に照すと、かかる応答の限度ではいまだ報告義務を尽したとはいえず、さらにまた右報告義務は、警察官の質問の有無に関係なく、車両等の運転者が所定の事項を報告すべき義務であるから、前記のように被告人に対し警察官から電話があつた際警察官から被告人が報告すべき事項の一部について質問がなかつたからといつて、これをもつてその点について警察官の権利の放棄があり、被告人の報告義務が免ぜられるものとなすが如き見解は、とうてい採用することができない。したがつて原判決には事実誤認の疑いは存せず、ひいて法令適用の誤りもないから、この点についての論旨は、理由がない。

二、控訴趣意第二点(省略)

よつて、本件控訴は、理由がないから、刑事訴訟法第三九六条によつてこれを棄却し、当審における訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用してこれを全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

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